2016年3月9日午後、ソウルのホテルで行われたとある対決は、人類史の転換を予期させるものとなった。人工知能プログラム「アルファゴ(alphaGo)」が、現役囲碁世界王者イ・セドル九段に勝利したのだ。
あと10年は人間には勝てないだろうと言われていた囲碁の世界で、人工知能が世界最強を証明して見せたのだ。そんな驚きのニュースは、またたく間に世界中を駆け巡った。3月15日、全5局を終え、通算成績は4勝1敗でアルファゴの勝ち越しとなった。
そんな前代未聞の人工知能・アルファゴを作ったディープマインド(DeepMind)とは、一体どのような企業なのだろうか。ディープマインドは2010年に、デミス・ハサビス(Demis Hassabis)氏、シェーン・レッグ(Shane Legg)氏、ムスタファ・スレイマン(Mustafa Suleyman)氏によって共同設立された。当時、アルファゴという特定のプログラムは存在せず、彼らが作っていたシステムだけがあった。
代表を務めるデミス・ハサビス氏の名は、今回の対決で一気に広まった感がある。しかし実際には、それ以前から“天才”という評価を受けており、知る人ぞ知る人物であった。
ハサビス氏は1976年にロンドンで生まれた。13歳の時、チェス界の由緒ある称号である“チェスマスター”となり、14歳の時には世界最高スコアを記録したユディット・ポルガー(Judit Polgar=2335点)に次いで、2300点を獲得。世界ランキング2位にまでのぼりつめた。
またハサビス氏は、17歳の時に「テーマパーク」というゲームを共同制作し、数百万のコピーを売った。その後、ケンブリッジ大学でコンピュータサイエンスの研究を開始。修士と学士課程を同時に終えている。
卒業後は、しばらくゲーム会社に勤めふたたび大学へ。認知神経科学の研究を深め、博士号を獲得している。囲碁でアルファゴーが高い能力を発揮できたのは、システムを設計した張本人が、チェスや囲碁などを深く理解していたからだとの見方もできる。イ・セドル9段は囲碁の天才と呼ばれて久しいが、対するアルファゴをプログラムしたハサビス氏も、勝るとも劣らない天才だったという訳だ。
そんな天才が舵を握るディープマインドは、米シリコンバレーで最大勢力を誇る「ペイパルマフィア」に投資を受けた。ペイパルの前身であるX.com社の共同創業者であり、テスラモーターズCEOを務めるイーロン・マスク氏、エンジェル投資家のスコットバニスター(Scott Banister)氏らが、投資家に名を連ねている。また、ホライゾンベンチャー(Horizon Ventures)などが資金を投入している。
なお、イーロン・マスク氏は2014年に、人工知能が5〜10年以内に核兵器より危険になるだろうと警告したことがある。しかし、実際には自らも人工知能の開発に投資している。イーロン・マスク氏本人はそのことについて、「人工知能がどこに行くのか、近くで見てたかったから」と説明・釈明している。
2014年1月26日、Googleがそのディープマインドを買収したという事実が明らかにされた。買収金額は公式に発表されていないが、約4億~5億ドルだと推定されている。人工知能関連の技術と、人材確保に熱を上げていたラリー・ペイジ前最高責任者が、直接、契約を牽引したという。買収後、ディープマインド社は「グーグルディープマインド」に社名を変更している。
Googleが2014年1月にディープマインドを買収したとしたが、2012年頃にはFacebookが買収に乗り出していた。かなりの水準まで議論が進んだそうだが、最終的に失敗に終わったと言われている。
正確な理由は知られていないが、いくつかのメディアの分析を総合すると、Facebookはディープマインドのシステムをユーザー間の繋がりを強化する目的で使用することを望んだが、ハサビス氏らは人間の考え方を理解し、学習する人工知能を作りたかったからだという。つまり、人工知能を開発における目的が異なっていたのだ。最終的に、2013年末の交渉が中断された。
話を戻そう。人工知能の開発にとってGoogleほど適した企業はないのではないだろうか。なぜならば、毎秒ごとに無尽蔵に生成されるテキスト、画像、動画、個人情報など様々な情報にアクセス可能になるからだ。いずれ、そんな状況下で人工知能が悪用、もしくは暴走するとも考えたディープマインド社の面々は、買収当時、ラリー・ペイジにとある要求を伝えた。それは、人工知能に関する「倫理委員会(ethics board)」の設置だ。
ディープマインドの共同創設者シェーン・レッグ氏は、欧米メディア「デイリーメール」インタビューに対し、次のように話している。
「人類滅亡が来るとして、技術(technology)がその理由のかなりの部分を占めるだろう」
ディープマインド社の面々は、自分たちが開発している技術が、いずれ人類を滅亡させるかもしれないという恐怖を感じていたため、いわゆる“制御装置”が必要と判断した。倫理委員会の設置という条件を求めたのはそのような理由からだった。なお、その倫理委員会のメンバーが誰なのかは、いまだに明らかにされていない。
その後、昨年10月には、欧州囲碁王者に全勝を収めたことをきっかけに、科学誌ネイチャーにアルファゴーという名称が掲載され、世の人々が知るところとなった。Googleの親会社「alphabet」と、囲碁を英語表記した「Go」を合わせた名前だった。
ディープマインドは、特定の目標を達成するために、経験を積み重ね学習する人工知能を開発している。囲碁欧州王者を打ち負かし、イ・セドル9段と対局するまでの5ヶ月間、アルファゴは数百万回の対局を行ったと言われる。
結論から言えば、囲碁ではなくポーカーでもよい。その場合は、アルファポーカーとなる。将来的にロボットと組み合わせて球技をさせる日がくるかもしれない。何を目的にするかによって、後ろにつく名称は違ってくるのだろう。おそらく、私たちが注目しなければならないのは、囲碁で人工知能が勝ったという事実だけでは、ディープマインドのシステムが経験・学習し、人間を追い越す能力を発揮できるという点にあるのではないだろうか。
なお、Googleの重要人物のひとりであるジェフ・ディーン氏は、囲碁の次に人間と戦う種目としてゲーム「スタークラフト」を挙げた。囲碁は盤面に置かれるすべての石の状況を見ることができるが、スタークラフトは見えないところにいる敵の存在を予測・対応しなければならないという点で、囲碁とは異なる能力が必要であると言われている。
自国が誇る囲碁世界王者を打ち負かされた韓国メディアのなかからは、「なぜ韓国ばかり標的にするのか」というような話が出てきている。というのも、スタークラフトの世界大会上位入賞者には、韓国人が多いからだ。むしろ、ほとんど韓国人と言っても差し支えない。韓国では「韓国人は自尊心が強く、簡単に盛り上がるので、それを狙った可能性もある。(中略)もしそうなら正解かもしれない。すでに多くのプロゲーマーが自信を見せている」と報じられている。
余談だが、韓国はIT先進国の割にGoogleの影響が少ない国でもある。韓国ネット業界を牛耳っているのは、日本でもおなじみのLINEの親会社「NAVER」だ。Googleの検索ポータルの使用率は驚くくらい低い。予想に過ぎないが、そんな韓国のIT事情に対して、人工知能の能力を見せつけながら、“開国”を迫っているのかもしれない。
ディープマインドのシステムに代表されるような人工知能の急速な発達は、人類にとって恩恵をもたらすのだろうか。現在、その点については賛否両論があると言わざるをえない。グーグルディープマインドの人工知能が囲碁に焦点を合わせている間は、なんら問題はないだろう。しかし今後、軍事に転用された場合はどうか。Googleは、軍事ロボット企業「ボストンダイナミクス」を買収してロボットを作っている。それら軍事用ロボットに人工知能が搭載されないとは誰も言いきれないだろう。
人工知能の行く末はどうなるのか。その手掛かりを握った人物たちが、ディープマインド社の面々であることは間違いないだろう。ただ、まだ多くの事柄が秘密に包まれたままだ。現在、ディープマインド社のオフィスの正式な住所も明らかにされていない。
(ロボティア編集部)