英ロボット倫理団体のロビー活動「問題は頭の悪いロボット」

ロボティア編集部2016年9月13日(火曜日)

 英ロンドンで昨年、ロボット工学の研究者やエンジニア、法学者22人が、ロボットをめぐる政策提言団体「責任を果たすロボット財団(Foundation for Responsible Robotics)」を設立した。ロボットが生活の隅々まで浸透する大変革が起きつつあるなかで、同団体は政府や企業に対してその倫理的利用について勧告・ロビー活動を展開している。

 財団の共同設立者はオランダ・トウエンテ大学テクノロジー倫理学助教授のアイミー・ヴァン・ウィンスバーグ(Aimee van Wynsberghe)氏と英シェフィールド大学ロボット工学教授のノエル・シャーキー(Noel Sharkey)氏。いずれも有名なロボット研究者だ。同団体は、ロボットに興味のある人なら、ロボット工学者、技術者、社会学者、人類学者、法律家、公務員、製造者など分野を問わず財団に参加して欲しいと呼びかけている。

 シャーキー氏はIBTimes UKのインタビューで「ロボットはゆっくりと進歩してきたが、この2年で急激な進歩を遂げた。我々が考えたよりもずっと多くの仕事をできるようになった。しかし誰もプライバシーと倫理の問題を考えていない」と指摘。「AIが世界を乗っ取るかどうか。我々はそういうことに関心はない。むしろ、ロボットが世界をどう襲うのか、そして、それに備えておくことに関心がある。だから、(世界を襲う恐れのある)バカなロボットにより注目している」とコメントしている。

 シャーキー氏とウィンスバーグ氏の主な懸念は、ロボットが賢くなりすぎて我々を支配するようになることではなく、バカすぎて大切な仕事を任せられないということだ。そのため、人間は支配権をロボットに譲ってはいけないのだという。

 ウィンスバーグ氏は、「我々は社会にロボットが組み込まれている以上、ロボットの責任の問題に緊急に取り組む必要がある。ロボットを作り、使用している人間と同じだけの責任をロボットは負う。これからのロボットの仕事は、目先の利益ではなく、人類に恩恵をもたらすためのものにすべきだ(中略)ロボット政策は公正と正義という倫理的・社会的基準をクリアしているべき」と強調する。

 日本や欧州では、在宅の高齢者が事故や病気に見舞われていないかチェックする介護ロボットが、驚くほどのスピードで開発されている。高齢者をモニターするカメラを搭載したロボットは、高齢者が自宅で自立した生活を送り、家族に安心感を与えるために利用される。だが、これらのロボットは高齢者のプライバシーを侵すリスクともなる。例えば、ロボットによる監視は、トイレなど見られたくない場所にいる高齢者のプライバシーを侵害する恐れがあるからだ。

ロボット_倫理_保育ロボット
photo by youtube

 保育ロボットにも懸念がないわけではない。保育ロボットの多くは一見、本物の人間のように見えるため、子どもが人間よりロボットになついて愛着障害を起こす可能性が報告されている。愛着障害とは、乳幼児期に虐待や育児放棄を受けたため親に十分な愛着を形成できなかったことに起因する、対人コミュニケーション障害や情緒障害を伴う心の病気。保育ロボットによって親との愛着関係がつくれない危険性が出ているというわけだ。

 ドローンの普及にもリスクの指摘がある。英デボン、コーンウォール、ドーセットの各州警察、また韓国の各道自治体や警察では現在、行方不明者の捜索や犯罪場面の撮影にドローンを導入しようと実証実験を行っているが、ここにはプライバシー侵害の可能性が指摘されている。米ノースダコタ州はドローンにテーザー銃、催涙ガス、ゴム弾の搭載を米国で初めて合法化し、物議を呼んでいる。

 ロボットの用途が最も懸念されているのは、戦場で利用である。人を殺すロボット=キラーロボットの研究開発については、各国団体・知識人などから反対の声が上がって久しい。キラーロボットについては現在、国連(UN)特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)会議で、利用禁止を視野に入れた議論が行われている。

 ロボット工学研究者グループと共にシャーキー氏はUNで自律型ロボット兵器(キラーロボット)に関するロビー活動を行い、すでに成果を上げている。ミッションを開始してから3年、54のNGOがキラーロボットに反対するロビー活動を行い、60カ国は反対を表明している。同内容は、2015年11月の国連CCW年次会議で引き続き協議された。

 シャーキー氏は「我々の関心の対象はロボットの背後にいる人間であり、メーカーであれ、政府であれ、人間に責任があると考えている。説明責任と義務の明確化、それを政策に盛り込むことが必要」と人間の責任を強調。「我々は、政治家はテクノロジーを全然理解していないと考えている。政策がテクノロジーに追い付けなければ、法も追いつけない」と懸念をあらわにしている。