人工知能が生み出すのは「美の基準」か「美の多様性」か

ロボティア編集部
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Photo by Eloise Ambursley on Unsplash

なお、褐色や黒色の肌を持つ人々にいたってはひとりも選ばれていない。たしかに大会への応募者には白人が多かったが、インドやアフリカ出身の有色人種も応募者に多く含まれていた。それら結果について、世界各メディアから肌の色による差別ではないかという議論が噴出したのである。なぜそのようなこと偏向が起こったのか。

最大の要因としては、Beauty.AIのアルゴリズムが、限られた写真データに依存していたことが挙げられる。同社が美の基準を設定するために使用したとするデータは白人のそれが中心であり、有色人種を含む世界規模の美の基準を判断するには総量やバラエティーが少なすぎたのだ。

その点について、ユースラボラトリーズのCSOであるアレックス・ザヴォロンコフも「結果について自分でも非常に驚いた(中略)。アルゴリズムに明るい色の肌を美の基準にすべしと指定したわけではないが、入力されたデータによってそのような結論を出したようだ(中略)。いかなるアルゴリズムを学習させる場合でも、データ不足やデータ偏向は起こりうることを理解した」と結果を顧みている。

Beauty.AIに限らず、偏見を持った人工知能は今後も生まれてくるはずだ。人間の価値観は本来、無意識的に偏るものでもあり、それは生物として致し方がないことである。その偏った価値観が人工知能にまったく反映されないというのはむしろありえない話だ。またBeauty.AIのように、なるべく中立的なアルゴリズムを心がけて作ったとしても、ディープラーニングなど、もともとのデータに強く依存する技術を採用する限り、そのデータ種類や量によって思いがけず偏向してしまう可能性はいつまでも残りつづける。

そもそも、人工知能は人間に代わって「美」という価値観を判断することは可能なのだろうか。おそらく現段階では技術的に難しいだろう。たとえば、人工知能に美に関する大量のデータを与えて学習させたとしよう。ただそこには前提として、それらデータを美しいと判断・収集した人間の価値観がメタ的に含まれている。Beauty.AIもあくまでも、人間が美しいと判断したデータから法則を見つけて、選別作業を「代替」しているに過ぎない。

しかも美という価値観は、時代や社会とともに常に変化するものである。昨年、ファッションの中心地・フランスでは極端に痩せているモデルの活動を禁止する法律が施行された。それまでは美しいとされていた人々が、「健康的であることがすなわち美しい」という社会的価値観の更新のもと、痩せすぎの体型は美しさの範疇から除外されてしまったのだ。

一方で昨今では引き締まった体を持つモデルたちとは一線を画す、プラスサイズ女性たちに人気が集まっている。それも、美という価値観が常に変化している証拠のひとつだ。 いずれ技術の発展とともに、美の基準を更新・判断できる人工知能が現れるかもしれないが、現段階では、日々進化する美という価値観をキャッチアップし続けることは物理的、もしくはスピード的に不可能である。