AGRIBUDDY・北浦健伍氏に聞く東南アジア「アグテック×フィンテック」事情

ロボティア編集部
ロボティア編集部

―実際にサービスを展開しようとした際に、カンボジアを選んだ理由はどこにあるのでしょうか?

2009年頃、東南アジアを旅して、最初カンボジアが良いなと思いました。ただ、思い込みの可能性もあったので、他の東南アジア圏もぐるっと回ることにしたんです。それでも、最後にやっぱり面白いなと思ったのが、カンボジアとミャンマー。ミャンマーは軍事政権がなくなれば伸びていくと思いましたが、それがいつになるかは分かりません。一方、カンボジアは軍事政権もないし、戦争もない。もう伸びるしかないという状況だったので、何かをやってみようと考えました。もともと、戦後の焼け野原に近いような場所で勝負してみたいという思いがあったし、自分たちのビジネスが人の役にも立つと考えたんです。

もうひとつは、自分は変わり者で、誰もやらないことで可能性のあることをやってみたいと考えていました。不動産業や旅行業などは、やられている方々がたくさんいる。そこで、誰も行かない僻地に行ってみることにしました。カンボジアは農業国だし誰も飢え死にしていない。貧しいけど、食べ物はたくさんある。ただ、素人目に見てもでたらめな所がたくさんありました。こもう少しまともにやったら、生産性が上がり、豊かになるのではないかと。そこで当初、自分たちでお金を集めて、日本的な農業を日本で出来ないくらいの規模でやってみることにしました。東京都の中央区と同じサイズの1000ヘクタールで試してみたんです。

-カンボジアで農業をやってみた結果はいかがでしたか?

大変でしたね、本当に。1000ヘクタールは、実際に行くとめちゃくちゃでかいんです。よくよく考えたら、東京ディズニーランドで50ヘクタールなんですね。現地にいったら自分の畑がどこまであるかなんて全く見えない。当然やる前に、国連やカンボジア政府から出ている様々な統計を見ながら、どれくらいのコストでどれくらいの生産量があるか計算する。農家に聞き込みもしましたが、なんぼ計算しても儲かるわけですよ。これは「おもろいなー」と思ってやってみたんですが…。まあ、費用は倍はかかるし、採れる量は半分だしという散々な結果でした。

じゃあなぜそうなるかと考えてみると、国連のデータですら出元が一緒だった。つまり、農家への聞き込み。データ自体が、国連の人たちが農村の人たちにヒアリングして、農村の人達はなんとなく聞かれた事をその日の気分で答えているだけというのが実態だったんです。例えばミャンマーの人口が6000万人いるとも国連は言っていましたが、数え間違いで5000万人でしたというようなこともありました。100人ならまだしも、人口で1000万人数え間違えるんだったら、農業のデータなんて推して知るべしじゃないですか。これは世界中の誰もが本当に僻地の詳しい数字などは把握できてないということなんです。

それともうひとは、不正。カンボジアでよく聞く不正は一通りやられました。ダンプに乗ってきた集団に泥棒されたこともありましたし、トラクターの部品を盗まれて人質にされたこともあります。

一方、当時は大体一人当たりの給料は3ドルくらい。我々は近隣の農村から人を集めて、700~1000人を雇用しました。一人では出来ないので、何人もマネージャーを雇っていました。そうすると、一人当たりの給料が上がってきた。しかも集まるのは老人ばかり。若者は都市に出稼ぎに出てしまっているわけです。

僕らからすると、カンボジアに来たのは誰かをやっつけに来たわけでもなくて、カンボジア人と一緒に豊かになろうという志を持ってきたのですが、カンボジア人の給料が上がると僕らが苦しくなるという構図が生まれる。なんだか、それは間違っているなと思い始めた。また、作業が遅ければ怒らなければならないという気持ちにもなりますが、実際の作業は40度を超す灼熱の気候で日陰もないなか、みんななんとか作業している。僕なんて1時間も立っていられません。そこで、仮にですが1日3ドルが6ドルになったところで別に誰も豊かになってないし、こちらが一方的に苦しくなっているだけです。「違うな」という疑問がさらに深まった。

翻って、僕が1000ヘクタールの畑を出来たのは、カンボジア人よりお金を持っていたからという理由だけじゃないですか?別にカンボジアにとって新しいイノベーションを起こしたわけでも何でもない。これは日本人として、かっこよく誇れるようなビジネスではないなと。それよりも僕たちだけが気づいている、僕たちだけが本当の事を知っているとなれば、その方がインパクトは大きいなと思いました。

さらに自分のバックグランドが金融家だったこともあり、彼らの事が本当にわかれば、そこにファイナンスがつくと思いました。経験を通じて、みなお金がないのが分かっていましたから。そこで、ビジネスの方向をシフトして、プランテーションを運営していた会社からスピンオフさせたのがアグリバディ。そう意味では、自分が散々痛い目にあって出てきた発想をベースにつくった会社なのです。