「直接的な衝撃を感じた後、すぐに私の足は吹き飛んでしまいました」
米3大市民マラソン大会のひとつに数えあげられる、由緒あるスポーツイベント・ボストンマラソン。2013年4月15日、その第117回目の大会は、ゴール付近で起きた数発の爆発音とともに、悲鳴と怒号が響き渡る惨劇の舞台となった。日本では「ボストンマラソン爆弾テロ事件」という名称で広く報じられたが、数年が経過した現在でも記憶している方々は多いのではないだろうか。いわゆるソフトターゲットを狙ったこのテロで、3人が死亡、282人が負傷したとされる。
大会に参加していた女性ダンサー(社交ダンス教師)のエイドリアン・ハスレット・デイビス(Adrianne Haslet-Davis)さんも、この事件で負傷。左足首から下の部位を失った。
爆発直後、彼女の夫アダム・デイビスさんは、彼女が自身の身に起こった惨劇を理解するよりも早く、妻の身に起きた状況を認識した。彼自身も負傷していたが、妻が負った傷がさらに深刻で命に関わるものだと判断。自身のベルトを巻きつけて止血に努めた。その後、エイドリアンさんはボストン・メディカルセンターに運び込まれ、一命をとりとめている。彼の咄嗟の判断がなければ、命を失う危険性があったという。
エイドリアンさんはCNNの取材クルーに、当時の夫の様子を次のように振り返った。
「彼はわたしの足を手に取り、ただただ叫び続けていました。それは、愛する人がいる人ならば誰しも絶対に聞きたくないであろう、そんな叫びでした」
マラソン会場での爆発は、エイドリアンさんから足を奪った。そしてそれは同時に、彼女のダンサー、そして教師として未来も吹き飛ばしてしまったかのうように見えた。当時のメディア報道は彼女の様子に触れ、「ダンサー生命が絶たれた」と同情。テロの残酷さを報じた。
ただ、彼女はそのような不幸には屈しなかった。事件から1週間後には、教室へ復帰しふたたび踊ることを決意。義足となり自由が利かない左足を抱えながら、懸命にリハビリに臨んだ。
“エイドリアンさんにとって、ダンスはまさに天職だ。踊っていると「ほかの何物でもなく、これこそが私の道」と思える。社交ダンスには、長年の練習で培ったバランス感覚や高度な技が要求される。「それを義足で再現することはできない。でも、もしかしたら技術の力で――」と言いかけて言葉を止め、「成り行きを見ましょう」と結んだ。”(CNN「それでも私は踊る」ボストン爆破テロで足を失ったダンス教師)
そんなダンサーとしての彼女の足の感覚を取り戻すべく、技術者たちも協力を惜しまない。MITヒュー・ハー(Hugh Herr)教授は開発を続けてきたバイオニクス義肢を、エイドリアンさんに提供。その電子義足は、使用者の動きに合わせて自然な動きを再現するように作られているという。ハー教授は自身も17歳の時に、登山事故による凍傷で両足を失っている。それから、34年間、人間の動き“より”もすぐれたバイオニクス義肢を作ることに専念してきた。
「バイオニクスは私の体を定義しています。1982年に私は両脚を失いました。(中略)その当時、私は自分の体を壊れたものとして見ませんでした。人間の身体は決して壊れるはずがないと考えたのです。壊れているのはテクノロジーの方で、技術が不十分だったのです。このシンプルで強力なアイデアが動機となって私は技術を進展させ、自分の障害や他者の障害をもなくそうと心に決めたのです」(TED:ヒュー・ハー: 走り、登り、踊ることを可能にする新たなバイオニクス義肢より)
※日本語字幕版はTED公式サイトで確認できます。
ハー教授の義足の最新モデル「バイオM(BioM)」は、電磁石の電流を利用して自然な足首の動きを、またモーターがふくらはぎの筋肉の動きを再現する。足を失った人々の歩行はもちろん走行までサポートし、ハー教授自身はその義足でロッククライミングもこなす。
なお、ハー教授がエイドリアンさんに提供した義足は25万ドル(約3000万円)相当の価値を持つそう。まだ一般に普及するのは難しい状況と言えそうだが、エイドリアンさんのように、繊細な足の動きを望む人々やアスリートたちにとって、非常に重要な研究となりそうだ。