夢物語でロボットは作れない、日本の学会とロボット研究

ロボティア編集部
ロボティア編集部

エンジニアリング_学生
photo by today.uconn.edu

―大学のロボット研究・教育の環境について、少し掘り下げてお聞きしたいと思います。欧米や日本では、大学の教育や研究の方針に違いがあるのでしょうか?

 これは私の個人的な意見ですが、ロボット工学はサイエンスの側面よりエンジニアリングの側面をもっと重視すべきだと思います。サイエンスは真理をつきつめることを目的とします。つまり、新しい原理、真理を発見することが目的で新規性が重要視されます。一方、エンジニアリングは役に立つものを開発することを目的としなければならないと思います。

 欧州的な考え方では、エンジニアリングはサイエンスの下だという階層主義があるように見えます。欧州的な教育制度を導入した日本でも、明治政府の頃から研究者に対してそのような評価を続けています。現在も、大学工学系の評価をサイエンスの物差しで測っていますが、もう少しエンジニアリングとしての価値を評価すべきではないかと思います。

 どういうところで影響が出てくるのかというと、大学ではサイエンス的な切り口でないと論文が評価されない場合が多い。そのため、実用化重視のエンジニアリングの論文を書いたとしても評価されにくいので、研究者としてはおのずと敬遠する傾向にあります。

 学会に寄せられる論文には、例えば「現在、***ロボットが市場に要求されている」などというまえがきが書かれている一方、実際にはそれほど要求されていないものがあります。つまり、社会的な需要、目的は軽く考え、自分の研究の興味で論文が書かれていることがあります。もちろん、画期的なブレークスルーの出現ためには、サイエンス的な好奇心というのは非常に大事なのですが……。工学的な目的は、世の中の問題を解決し、人々の役に立つことであり、どのように作るかの前に、何を作るべきかを考えることが大事だと思います。

 まず、社会にどのような問題があり、そのための最良の解決方法は何か、評価、分析して、最終的にロボットでなければならないという結論に至ったときに初めて開発が成り立ちます。そうしてこそ、事業として成り立つロボットになるのではないでしょうか。

 そこまで具体的な見通しがあってこそ、仕様ができます。夢物語ではロボットは作れず、少しでも不確定要素があると、仕様書は書けません。当たり前の話なのですが、その点がおざなりにされると開発の方向性を間違えてしまいます。そのためにも、エンジニアリングを学会で正当に評価していく必要があるかと思います。