アル・ジャザリー・ロボットバンド(1206年)
開発者のアル・ジャザリーは、イスラム黄金期に生きたイラクの発明家。歴史には学者、機械技師、職人、芸術家、数学者、天文学者と記録されている。また、孔雀ロボット、ウェイトレスロボット、サービングロボットを作ったとされ、そのいずれも動力は水力だったそうだ。左写真は、彼が作ったとされる通称“アル・ジャザリー・ロボットバンド”。
王室の水上パーティーで、4体のミュージシャンバンドがゲストを楽しませたと記録されている。ドラマーの止めくぎの位置を変えると、異なる音色を演奏できるように作られていたそうだ。英・サイエンティストのノエル・シャーキー(Noel Sharkey)は、「歴史的には、初期の自動人形に分類されるのではないか」と話している。
レオナルド・ダ・ヴィンチのロボット(1495年)
高名な発明家レオナルド・ダ・ヴィンチは、頭や顎、腕を動かすことができるロボット騎士を作る計画を1495年に練っている。そのダ・ヴィンチが作った図面によると、ロボット騎士は自ら起き上がることができる設計になっていた。1997年には、フィレンツェでガブリエレ・ニコライ氏がダ・ヴィンチのロボット騎士を再現(左写真)し、公開している。
ダ・ヴィンチはまた、ライオン型のロボット(右写真)を作った。彼は同ロボットを時の王・フランソワ1世の目の前で動かし驚かせてみせたと言われている。宮廷の余興用、もしくは舞台演出用に使用したものと考えられている。ダ・ヴィンチは、人体解剖学を正式に学んでおり、筋肉、腱、骨関節、人体骨格などの仕組みなどについて、多くの手稿やドローイングを残している。また、工学技術者としても名高い。それらの経験をもとに作られたのが、一連のロボットおよびその計画だった。現在、ロボット業界で“ダ・ヴィンチ”と言えば、Intuitive Surgical社の手術支援ロボットが有名。
フルートを弾く自動人形(Flute-Playing Automaton 1849年 イタリア)
イタリアのイノセンゾ・マゼッティ(Innocenzo Manzetti)が製作。等身大のロボットで、椅子に座った造りとなっている。椅子には、空気を入れるチューブが隠されており、ロボットに接続されて、そこから入る空気で口元と指が連動して動くようになっていた。また、自動人形は時計仕掛けによって駆動するようになっており、椅子から立ち上がる、頭を下げると、目を回転させるなど12種類のアクションを行えた。
学天則は東洋初のロボットと言われてる。昭和天皇即位を記念した大礼記念京都博覧会に大阪毎日新聞が出品した。制作者したのは同社論説顧問の生物学者・西村真琴。ゴムチューブによる空気圧変化を動力にして、腕を動かしたり、表情を変えたりできる仕組みだった。博覧会で観客の注目を集め、廣島市鳥瞰昭和産業博覧会(1929年)や、朝鮮博覧会(1929年)にも出店。
その後、ドイツに売却されたがそのまま行方不明となった。現地では故障等でうまく作動せず、廃棄されたとの逸話も。2007年2月、大阪市は学則天を復元することを発表。設計図が現存しないため、大阪市立科学館の学芸員と製作業者が協力して、当時の写真や文献を手がかりにした復元作業を行った。制作費は約2100万円。同年7月18日には、リニューアルオープンした大阪市立科学館で公開された。
【データ集】歴史に登場するロボット~その2~
【データ集】歴史に登場するロボット~その3~
【データ集】歴史に登場するロボット~その4~