【失敗のからくり①】あのユニクロが「野菜販売」?史上最大の失敗と呼ばれた黒歴史

花園 祐2024年3月21日(木曜日)

「あのユニクロが有機野菜事業に参入」というテレビニュースを初めて見た際に私は、「ユニクロって服屋だろ。なんでそれが野菜を売るんだ?」という疑問を当時覚えたことを、今でもよく鮮明に覚えています。

アパレルブランドの「ユニクロ」を運営するファーストリテイリング社は2002年、子会社としてエフアール・フーズ社を設立し、上述の通り有機野菜の生産、販売を手掛ける野菜事業を展開しました。当時、ユニクロは全国展開に成功して間もなく、そのブランド知名度が一気に高まっていたころで、経営的にも非常にイケイケなムードが傍目にも感じられました。そうした中でのこの野菜事業への参入とあって、「ユニクロの事業多角化が始まった」などと、当時の経済報道において大きく注目されました。

この野菜事業への参入は社長の柳井正氏ではなく、実家が青果店でユニクロのEC事業を担当していた柚木治氏が発案したものでした。当時の柚木氏の見込みによると、農薬を極力使用しない有機栽培方法で生産した野菜は味に優れ品質が高く、高品質でエコな農産物を求めるユーザーに高い付加価値で提供できることから、勝算の高い事業であると目していたそうです。そのため事業計画においても、2~3年で黒字化し、将来的には1,000億円規模の事業に到達させるという、かなり強気な予測を行っていました。

事業開始前、ユニクロの役員は上記の計画に対して採算の見込みがないとこぞって反対を示したものの、社長の柳井氏のみが賛同し、彼のトップダウン決定により野菜事業への参入が決定されました。

スタートダッシュに成功するも……

こうして全くの異業種への参入となるユニクロの野菜事業は始められましたが、こと事業開始当時に限って言えば、その高いブランド力が功を奏して幸先のいいスタートを切っています。

エフアール・フーズ社はその発足後、「SKIP」というブランドにて、有機野菜のオンライン販売、宅配サービスを一都三県(千葉、埼玉、神奈川)で開始しました。事業開始から約半年後にはその会員数が1万人を超え、そのまま行けば当初の計画よりも早く黒字化を達成する勢いを見せました。
また当時サービスを利用していたユーザーの実際反応を見ると、サービス内容や商品価格を評価する声が数多くみられます。

一例として子育てガイドの河崎環氏がAll aboutに出稿した「ウワサでは聞いていたけど、果たして美味しいの? ユニクロ野菜『SKIP』試食」という記事では、野菜品目ごとに細かく評価がなされており、どの野菜も市場に流通している同じ野菜に比べておいしいと太鼓判が押されています。なぜかりんごのみ、「スーパーの方が美味しいぞ!」と、辛口な評価が下されていますが……。

河崎氏は上記の記事の中で、SKIPの野菜は包装も清潔感があって優れており、この味と品質なら割高な価格であっても決して高くはないという結論まで下しています。またその割高な価格も、一般野菜と比べるなら確かに高いものの、有機野菜というカテゴリーの中で比べるならばむしろ安い価格帯にあるとして、ユニクロ(エフアール・フーズ社)の事業姿勢についても高く評価していました。

サービス拡大も会員数が伸び悩む

以上のような幸先の良いスタートを切ったこともあり、ユニクロの有機野菜上業は徐々にサービスを拡大していきました。サービス範囲を一都三県から本州四国まで拡大し、また都内の百貨店などに実店舗を出店するなどして、黒字化に向けた事業拡大を進めていきます。
しかし事業拡大を契機に、有機野菜事業は曲がり角を迎えます。

発足当初こそ伸び続けていた会員数ですが、事業を拡大し始めたころよりその伸びが鈍化し、さらには減少し始めることとなったのです。会員数が減少した背景としては、事業規模の拡大ペースに契約生産農家数が追い付かなかったという点が大きいと指摘されています。この時期、SKIPでは取扱商品に欠品が出るようになり、消費者が野菜を買おうにも買えず、これが顧客離れを引き起こしました。

この契約農家数、言い換えれば仕入先の確保はその後も難航したそうで、事業拡大の大きなブレーキとなりました。また会員数は伸び悩みが続き、目標であった4、5万人に遠く及ばず、開始当初に得た1万人前後からほとんど動かなくなってしまいました。
事ここに至り、発案者でもあり有機野菜事業の責任者であった柚木氏はこれ以降の収益改善は見込めないと判断し、サービス開始からわずか2年足らずの2004年、事業撤退を決断することとしました。これによりエフアール・フーズ社は解散となり、億単位の事業損失を出すこととなりました。

汚名返上した男、させた男

このユニクロことファーストリテイリング社の有機野菜事業の失敗は、安易な事業多角化が招いた、同社のこれまでの事業経営における最大最強の失敗であったと指摘されることが多いです。実際、約2年という短期間でこけており、当時ユニクロは新興企業と目されていたやっかみもあってか、「ユニクロの経営は運が良かっただけ」、「野菜事業のようにアパレル事業もそろそろこける」などという揶揄も見られました。

こうした声に発案者であった柚木氏も強く責任を感じており、事業撤退の決断の際には社長の柳井氏へ辞表を携え報告したそうです。しかしそんな柚木氏に対し柳井氏は慰留しつつ、損失を出した分だけまた稼いでみせろといったような言葉をかけたそうです。この慰留を受け、柚木氏はそのまま同社に残ることとしました。

その後、柚木氏は有機野菜事業の反省を分析し、その経験を社内に冊子として配ると、GUブランド事業の担当を任されます。それまでいまいちブランド位置づけがはっきりしていなかった同ブランドですが、柚木氏はオリジナルコスメ商品を打ち出すなどして同ブランドを大きく躍進させて黒字化させ、ユニクロブランドに次ぐ社内の稼ぎ頭まで成長させることに成功しました。現在に至るまでGUブランドは大きく利益を稼いでおり、かつての有機野菜事業の失敗を柚木氏は取り返すどころか、彼を引き立てた柳井氏に大きく借りを返しています。

この柚木氏の立ち直りは汚名返上と呼ぶに相応しい活躍ですがそれ以上に、一度失敗させた相手に再びチャンスを与えた柳井氏の寛容さというか腹の太さには驚くものを感じさせられます。一代で「世界のユニクロ」を打ち立てた実力は伊達ではなく、こうした人を見る目の鋭さもまた、彼を一流の経営者足らしめていると思わせられます。

実はあの通信キャリアも……

以上がユニクロの有機野菜事業における失敗の顛末ですが、実は有機野菜で失敗しているのはユニクロだけではなかったりします。そこで次回では、同じく全くの畑地外の業種でありながら有機野菜事業へと参入し、見事失敗したNTTドコモの例を取り上げようと思います。

<参照サイト>
「ユニクロの野菜販売」はなぜ失敗したのか? 『世界「失敗」製品図鑑』が解き明かす「顧客起点」の不在(好書好日)
ユニクロが挑む野菜、靴に続く「3度目の正直」(東洋経済)

花園 祐

記者:花園 祐


花園裕(はなぞの・ゆう)中国・上海在住のブロガー。得意分野は国際関係、政治経済、テクノロジー、社会現象、サブカルチャーなど。かつては通信社の記者。好きな食べ物はせんべい、カレー、サンドイッチ。