伝説となった国産スマホ「REGZA Phone」は何が問題だったのか?(後編)

ロボティア編集部2024年4月5日(金曜日)

[写真]REGZA Phoneを題材としたニコニコ動画作品(【初音ミク】アアアッレグザフォン使ってる人がいるウ【オリジナル曲】)

android離れを加速したか?

なお当時、androidスマートフォンに関して巷ではよく、「androidなんてクソ、iPhoneこそ至高!」といった主張がよく見られました。私は当時、こういった主張はいつものアップル信者の強がりかと思っていましたが、レグザフォンの反響を聞くにつれ、レグザフォンのユーザーであればandroidスマートフォンの性能を誤解して、ああした発言も出てくるのも仕方ないように思えてきました。仮にそうであれば、レグザフォンは日本人ユーザーのandroid離れ、iPhone集中というすまし上の動きを促していたのかもしれません。

結局レグザフォンはその後、2012年7月に発売された「T-02D」を最後にその短い歴史を終え、これ以降に富士通系から発売されるスマートフォンブランドは、「ARROWS」へと切り替えられることとなりました。その「ARROWS」シリーズのスマートフォンも売れ行きは決して好調だったといえず、販売していたFCNTも2023年には経営破綻に至り、東芝、富士通時代から続く同社の携帯電話の開発史は終わりを告げました。

突き詰めると問題点はどこにあったのか?

以上のような経緯から、レグザフォンはスマホ黎明期にあったとはいえ、そのあまりの性能と品質の悪さから、一種伝説めいて語り継がれる機種名となってしまいました。

ではレグザフォンの何が問題だったのか。「すべてに問題があった」と言われればその通りに思えますが、敢えてその中でも事業プロジェクトとして致命的だった問題点を追及するとした場合、私が一番気になる点としたら「どうしてあの品質で発売したのか?」という点です。
発売当初にあれだけ不具合、それも大半がソフトウェアに起因すると思われる問題点が多発していたことから、常識的に考えれば試作段階で不具合の存在は把握できていたと思われます。

それにもかかわらず、なぜその不具合に対処しきれないまま発売してしまったのか。敢えて予想すると市場投入時期があらかじめ決まっており、対処する間もなくそのまま発売してしまったのではないかと推察しています。実際、レグザフォンの開発期間は非常に短かったとする声が、発売当時にもいくつか見られました。
しかしスケジュールがいくら決まっていたとしても、あんな不具合だらけな品質の製品を出してしまえば新規ユーザーはおろか既存ユーザーすらも流出するのは目に見えています。そういう意味では仮に上記のような理由が背景だった場合、製品を煮詰めることなくスケジュール通りに投入してしまった営業面の問題が、不名誉な伝説を作ってしまったと言えるでしょう。

そもそもスマートフォンをまともに作る技術がなかっただけ?

ただ上記のような不具合問題が1回こっきりだったらまだ理解できるのですが、このレグザフォンはその後の後継機種でも不具合多発がお馴染みとなっていました。初回品で不具合が多いのは世の常であり多少は理解できますが、後継機種でも不具合が多かったことを踏まえると単純に企業として、その開発力が乏しかったのではないかと疑われます。実際、後継の「ARROWS」ブランドのスマートフォンでも、「カイロいらず」と言われるほど本体が熱を持ちやすいなどといった、他ブランドのスマートフォンにない不具合(機能?)を多く抱えていました。

折も折というか2010年前後は、電子製品業界は台頭してきた中国メーカーに日系メーカーが押され始めてきた時期でもありました。徐々に劣勢に立たされていった日系メーカーでしたが、当時の技術関係者らはまるで口を揃えたかのように、「中国メーカーは安い人件費からくる低価格しか能がない。日系メーカーは技術では負けていない」などという主張を盛んに繰り返していました。

しかしそんなことを言う日系メーカーも当時すでに大半が中国での生産に切り替えており、人件費の競争条件で言えばむしろ差がない状態でした。また日系が勝っていると言っていた技術力に関しても、不良品と呼ばれても仕方のないレグザフォンをリリースしておいて出てくるセリフかと、率直に言って当時から私は疑問に感じていました。

結局生き残ったのは中国メーカー

時を経た現在(2024年)、FCMTをはじめ日系メーカーの大半はすでに携帯電話の開発、販売事業を畳んでいる一方、中国系メーカーではHUAWEI、OPPO、VIVOなどのブランドが現在も開発を続け、市場でも一定の市場シェアを握って市場競争を続けています。

こうした対照的な状況を見るにつけ、2010年ごろの当時においても、日系メーカーはまともにスマートフォンを作ることができないほど技術力がなかっただけではないかと見ています。そしてその技術力の低さはその後も挽回できず、かつて目下と侮っていた中国メーカーの後塵を拝す結果となったというふうにも見ています。はっきり言ってしまえば2010年の段階で携帯電話開発においては、日系メーカーの技術力は中国メーカーよりも劣っていたのではないかとまで私は考えています。

以上を踏まえて結論を述べると、やはりガラケー市場という海外メーカーを排したぬるい市場の中で世界の技術潮流から取り残され、慌てて追いつこうとしても技術が全く足らず、最低限の品質すら保てないまま出てしまった製品が、レグザフォンであったように思えます。本来ならばこの時点で日系メーカーの技術力低下を直視し、その挽回に向け意識すべきだったのかもしれませんが、意識するどころか中国メーカーなどを侮り続け、その差に気が付いた時には完全敗北してしまったというのがその後の歴史だと思います。

ただ単純に製品開発技術力がなかった。この指摘こそ、レグザフォンの流通当時に必要だったように私は考えます。