[写真]名経営者として名高い鈴木修氏(Wikipediaより)
巨大企業との提携解消、それも何の成果もない状態での破局ともなればネガティブな印象が持たれるものです。しかし2015年におけるスズキと独VW(フォルクスワーゲン)の提携解消劇は、日本自動車業界の最長老ともいうべき鈴木修氏の慧眼が光る、スズキを大きな危機から救った神懸った判断として現在においても高く評価されています。
そこで今回はいつもとは異なり、「プロジェクトを終了」したことによりその価値を高めたスズキの、VWとの提携解消劇について紹介します。
GMとの提携解消によりVWと手を組む
スズキはVWと業務提携を行う以前、長期にわたり米ゼネラルモーターズ(GM)との提携を続けていました。両社の関係はマツダとフォードの提携と同様に相思相愛であったと言われていますが、2008年のリーマンショックにより、その関係は突如終止符が打たれることとなります。
リーマンショックにより手元資金が大きく不足して破綻の危機に瀕したGMは、その保有するスズキ株の売却に迫られることとなりました。スズキ側もGM側の苦境に対して理解を示し、スズキ株の完全売却について同意こそしたものの、その株の引き受け手を新たに探さなければなりませんでした。このような中、GMに代わる新たな提携先に挙がってきたのが、VWでした。
GMとの提携解消から約1年後の2009年、スズキとVWはその提携交渉を経て、正式に業務提携契約を交わします。提携内容としては、スズキ側はインドをはじめとする新興国での販売チャネルや経験の共有、そして軽自動車で鍛えた低コストでの生産技術の提供が盛り込まれたのに対し、VW側からはディーゼルエンジンをはじめとする環境技術の提供が入れられていました。
その上で、スズキ側としてはこの業務提携はあくまで「対等」な関係での提携であり、互いに相手の経営権には口出ししない内容のはずでした。
約束を違えてスズキ支配に動くVW
こうしてパートナー関係を築いた両社でしたが、正式な業務提携契約の締結直後から両者の間では不協和音が鳴り響きました。提携開始より間もなく、VW側はスズキについて将来的に出資を引き上げることを計画しているなどと発表し、年次報告書においても、スズキを連結対象として取り込むといった内容を打ち出してきました。これはスズキにとって完全に寝耳に水な発表であり、当然ながらVWに対し抗議をしたものの、VWはこうした抗議を意に介さず、スズキ支配に対する姿勢をますます示すようになっていきます。
また提携契約で提供を約定した環境技術、特に当時欧州で環境対策として非常に期待されていたクリーンディーゼル技術に関して、VWはスズキへ一切提供しようとしませんでした。それどころか一部報道によると、契約に照らした供与を求めるスズキに対し、VWは提供の条件として、スズキに対する出資比率の1/3超への引き上げを迫ってきたと言われます。
提携解消を巡る裁判が長期化
こうしたVWの態度に業を煮やしたスズキは2011年、ディーゼルエンジン技術に関して伊フィアットとの提携を決めます。このスズキの動きにVWは激怒し、契約違反だとしてスズキに対し激しい抗議を行うようになります。
事ここに至り、両社の決裂は明確となります。2011年、スズキはVWに対してスズキ株(19.9%)を完全売却しての提携解消を求めるに至りました。これに対しVW側は、先のフィアットとの提携は契約違反であり、直ちにこれを解消してVWとの提携契約をあくまで履行するよう求めます。
両社の主張は完全に平行線を辿ったことから、スズキは国際仲裁裁判所へ同案件を提訴し、争いは同裁判所における司法の場で繰り広げられることとなりました。
日本やインド市場で一定のシェアを持つとはいえ、世界最大手ともいうべきVWが相手とあって、この裁判では当初スズキが不利だとする見方が強くありました。実際、VWはスズキが折れるのを待ってか裁判の進行を遅らせる遅滞戦術を取ったため、審理は約4年も続くこととなりました。
無傷ではなかったものの提携解消に成功
ただこの裁判の終盤、それまでスズキとの提携維持に固執していたVWの経営トップが社内権力闘争の末に退陣することとなりました。この経営陣の交代によって、裁判も風向きが変わります。
VWで経営陣が切り替わる中、両社は和解を模索するようになります。その結果として2015年8月に至り、スズキがVWに対する契約違反を認めて違約金を支払う代わり、VWは保有するスズキ株を売却し、提携を解消する内容で和解することとなりました。
スズキ側にとっては完全に無傷とはいかなかったものの、敵対的買収を未然に防いだという大目的は見事に達成されました。そのためか同年6月に社長から会長職へと引いていた鈴木修氏も、裁判自体は長期化したものの和解内容については満足しているとして、裁判結果に対する質問について記者らに答えていました。
提携解消直後にディーゼル不正が発覚
長い裁判を終えてほっと一息をついたスズキでしたが、和解に至ったその翌月、旧提携相手であるVWで文字通り世界を揺るがす大事件が発覚します。
米環境保護局(EPA)は2015年9月、VWがディーゼルエンジンの排ガス検査時に不正を行っていたことを高らかに発表しました。検査時にのみ動作ソフトウェアを弄り、本来なら達成し得ない環境性能を、さも達成しているかのように見せるという不正内容でした。
当時の自動車業界ではより環境性能に優れた動力モデルとして、日本はトヨタに代表されるハイブリッドエンジンを推していたのに対し、欧州ではVWに代表されるクリーンディーゼルエンジンを推していました。そのためディーゼルエンジンにおいてはVWなどの欧州メーカーが技術面でリードしているとされ、これからの自動車の主役はハイブリッド車でなく、電気自動車でもなく、ディーゼル車だなどと彼らも喧伝していました。だからこそスズキも、自らが研究開発を行う余裕のないディーゼル分野を穴埋めするために、VWとの提携を選んでいたわけです。
しかし前述の通り、VWは提携相手であるスズキに対し、ディーゼルエンジン技術を頑なに開示しようとしませんでした。それもそのはずだったというべきか、そもそもVWには環境基準に適応したディーゼルエンジン技術なんて初めから存在せず、検査不正によってごまかしていただけに過ぎませんでした。
ディーゼル車販売比率は5割から1割に
結果的にこの不正発覚によってVWはそのブランドを大きく失墜させた上、販売済みの車両に対する補償が課されるなど、底知れない経営打撃を受けることとなります。また当時の経営者らに対しても、不正を知りながら販売を続けていたとして有罪判決が下りています。だがVW以上に打撃を受けたのはほかならぬ、ディーゼル車市場でした。
VWの不正発覚以前、欧州における新規登録台数に占めるディーゼル車の割合は約5割あり、実質的に新車の約半分を占めていました。しかしこの不正発覚以降、ディーゼル車の環境性能は見掛け倒しに過ぎず、環境にも悪いという認識が広まった結果か、ディーゼル車の比率は年々落ち込んでおり、2023年度において同比率は13.6%にまで縮小しています。
なお2023年度における欧州新車のハイブリッド車比率は33.5%であり、ディーゼル車との差は年々広がっています。ここで何が言いたいのかというと、VWの不正はVW一社にとどまらず、ディーゼル乗用車市場を丸ごと潰すような大失敗であったということです。私が見る限り現状においてクリーンディーゼルエンジンと呼べるのはマツダのCX-5などに搭載されているディーゼルエンジンのみで、ディーゼルエンジンそのものが環境性能や将来性がないというわけではないものの、燃料車においてはハイブリッド車が現状主流であると言わざるを得ません。
そういう意味では、「クリーンディーゼル」という市場プロジェクトを終わりへと導いたのは、ある意味でVWかもしれません。
スズキは見抜いていたのか?
話をスズキに戻すと、前述の通りVWの不正が発覚したのは提携解消してから1ヶ月後の2015年9月のことでした。結果的には発覚に先んじてスズキは提携を解消していましたが、もしこれが少しでも遅れていた場合、スズキもVWの巻き添えを食って風評被害を受けていたかもしれません。それだけに発覚直前に提携を解消していたことから、スズキの経営判断の高さには当時大きな評価が寄せられ、スズキの株価も一時的に上昇していたのを私自身目にしています。
そもそもスズキがVWとの提携解消に動いたのは、VW側がスズキ支配に動き出したことはもとより、ディーゼルエンジン技術を開示しなかったためです。そのためスズキは不正発覚以前より、VWにはそもそも先進的なディーゼルエンジン技術がないということを見抜いていたのではないかとも言われています。この点についてスズキ側から明確な声明は出されてはいないものの、可能性としては十分あり得ると私も思います。
どちらにせよ、VW側の動きを見て結んだ提携を早々に打ち切ることを決断したスズキ、というより鈴木修氏の経営判断には、約10年を経た現在においても舌を巻かされます。
桁違いの経営者
VWとの提携解消後、スズキは元々創業家同士で交流のあったトヨタとの関係を深め、現在においてはトヨタグループの一員という立場となりつつあります。これも、鈴木修氏がスズキという会社を自分の引退後も存続させるため、あらかじめレールを敷いていたと伝えられています。
最後に蛇足ながら、その鈴木修氏についてあるエピソードを紹介します。これはある自動車部品企業に勤める知人より聞いた話で、ある年に年初挨拶のためスズキを訪問して、鈴木修氏に初めて名刺を渡したそうです。その翌年に再び年初挨拶で訪れたところ、鈴木修氏は知人を一目見るなり、「君は○○社の△君だな」と、1年前に1度しか顔を合わせていない知人の名前を正確に即答してみせたそうです。
知人によると、単純な記憶力もさることながら発言や考え方もしっかりしており、経営者として桁違いの人物だったそうです。諸々の業績を見るにつけ、この知人の評価は眉唾ではないと私も感じます。