生身の人間と同じように感情を持ち、人々と触れ合いながら会話のバリエーションを覚えていくソフトバンクのPepper。開発当初は米経済紙「ブルームバーグ」において「日本初の感情ロボット」として高く評価され、世界中の注目の的となっていたわけであるが、先日同誌の記事において「面白いが実用的でない」と酷評された。その理由や背景として、同社が買収したロボット開発企業「アルデバラン・ロボティクス」との意思疎通が上手くいかなかったこと、技術面においてロボット工学やAIに疎いメンバーがプロジェクトを先導していたことなどを挙げている。
Pepperのような人間らしい振る舞いをする人工知能ロボットを開発するにあたり、言語学的アプローチが新たな発見へと通ずると考えるのは、米デラウェア大学の機械工学者、ハーバート・タナー(Herbert Tanner)博士だ。人間の新生児は自分の身の回りにいる人間の言葉を即座に聞き入れながら会話能力を上達させていく。このようなプロセスは人間のみならず、ロボットも経験するものだというのがタナー博士の見解である。現在、同大学の言語学者らによる協力を得ながら、形式言語理論に基づくアルゴリズムが組み込まれた“自ら思考するロボット”を開発中である。
そのロボットには高周波無線機器と8体のカメラが搭載されている。現在地や目的地を三角法で測定し、指定された場所へモノを運ぶことができるようだ。
「我々が開発しようとしているのは、指示を出している人間や周囲の環境を観察することによってこれから自分が行動すべきことを考え、実行へと移すことのできるロボットです」(ハーバート・タナー)
そのロボットを支える形式言語理論とは、ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)に代表される言語理論である。近代哲学の祖として知られるフランスの哲学者ルネ・デカルトの心身二元論、つまり「心(精神)」と「身体」は各々独立した存在物であるとする考え方に端を発する。
チョムスキーの形式論理学の領域では、脳はデジタルコンピュータであり、汎用的なソフトウェア。脳と一体化した身体と心とは別個のコンピュータプログラムとして扱われる。
続いて注目すべきは、アラブ首長国連邦のUAE大学の研究チームが開発予定の人工知能ロボットだ。開発にあたってジョージ・レイコフ(George Lakoff)の“身体化認知”を参考にするとハリージ・タイムズ(Khaleej Times)により報じられている。
ここで、ジョージ・レイコフとはノーム・チョムスキーとは真逆の立場をとっていることで知られる認知科学者だ。一応チョムスキーの教え子でもあり、MIT在籍時には数学や英語学を受講した。チョムスキーが提唱する言語理論に対し次第に反感を覚えるようになったレイコフは、最終的にチョムスキーと対極をなす新たな言語理論を打ち出すに至った。
それが“身体化認知(embodied cognition)”というわけだ。レイコフにとって「心」と「身体」はそれぞれ独立した存在物ではない。レイコフいわく、我々人間は身体を通した経験に基づき意味付けを行おうとしているのであり、例えば我々が発するメタファーは身体的経験に基づく表現に他ならない。哲学者マーク・ジョンソン(Mark Jonson)との共著『Metaphors We Live By(和訳タイトル:レトリックと人生)』は、西洋哲学的な思想から脱却した新メタファー論の誕生のきっかけとなり、後世の言語学者に多大な影響を及ぼした。
さて、ロボット研究の話に戻るとする。UAE大学の哲学者マシミリアーノ・L・カプチーノ(Massimiliano L Cappuccio)博士と、ロボット工学者のホセ・ベランゲー(Jose Berengueres)博士率いる研究チームが思い描いているのは、言葉のやりとりなしに人間の感情や意図を読み取ることのできるロボットだ。
「“身体化認知”の考え方に則りつつ、人間とロボットとの身体的な触れ合いについて検討していくことを主眼に置いている。今回はあくまでも言語的なコミュニケーションには一切触れず、感情を表出し、人間との絆を深めていくプロセスを追究していきたい」(マシミリアーノ・L・カプチーノ)
研究者らの当面の目標は、人間の視線やタッチ、ジェスチャーを正確に解釈し、同一の動作をさせるよう設計することだ。ロボットの原型が仕上がり次第、ロボットの反応を見ながら実験を進めていく予定である。
言語学界では互いに相反する立場にあるチョムスキーとレイコフ。双方の理論は1体のロボットの内部にて融和し、人間との共存可能なロボット社会の実現へと誘導する重要な手がかりを与えてくれることだろう。
Noam Chomsky photo by wikipedia